『ファルキア(松明)、結束と平和の証し』
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ファーラ・フィリオールム・ペトリは毎年1月17日聖アントニオの日を祝う火祭で有名な小さな町だ。1799年フランス軍の侵略に対し町の守護聖人・聖アントニオは森に火を放ち領土を守ったと言い伝えられている。それ以前に遡った祭りの記録もあるらしいが、この1799年の『聖アントニオの奇跡』が祭りの由来だと言われる。現在もここでは毎年伝統的な催しを実現するため町の人々は世代を超えて協力しハードワークに励んでいるのだ。
”結束と平和の証し”とは言い得て妙、祭りの1週間後のコンヴェンションでスローガンのように繰り返し耳にした言葉だ。
準備は1年がかり。毎年1月16日の夜に点火する松明を作るために、祭りが終わるや否や翌年のために葦の刈り入れが始まる。
15地区がそれぞれスケジュールを決めて葦を刈りに行く日程は月を見て決めるらしい。この町のみでなくアブルッツォでは月の満ち欠けに従って作業をすることが多いという。半月から欠け始めて新月に至り次の半月になるまでが収穫の時期、作物や肉製品など保存するものはこの時期に作業する。その後半月が満ち始め満月を経て次の半月になるまでは種まきなど地の恵みを育てる時期だという。
ここでも月が欠け始めてからが葦を刈りに行く時期、少しずつ集めて翌年1月まで天日で乾燥させる。12月頃になると葦を束ねるための柳の枝も集め始める。
そしていよいよ1月、ファルキエを作るためのテントや小屋で作業が始まる。夕方仕事が終わる頃や仕事が休みの週末、各地区の作業場には住民達が三々五々集まってくる。周りでは子供達が興味深く作業を見たりはしゃいだり。女性達の作業場はキッチンだ。各家庭のキッチンで、作業小屋のそばの炊事場で、伝統的なパスタや豚を絞めて1年分蓄えたソーセージにサラミ、この時期独特のお菓子作りに余念がない。柔らかい生地を長く伸ばして落とし揚げるクレスペッレ、ブドウジャムにチョコレートやアーモンドなど混ぜて作った中身をラビオリみたいな生地で包んで揚げたカヴチュネット、同じ中身をヘビのように長くした生地で包み焼いたセルペントーネ(大きなヘビの意味)などはこの時期独特のお菓子。おばあちゃんが作るのを小学校に上がったばかりの女の子が真剣に見ながら手伝っている光景も見かける。そして音楽や踊りも準備期間の空気を伝えるには欠かせないアイテムだ。焚き火の周りで誰もが知っている民謡を奏で歌いながら手を取り合い踊って騒いでいると否応なしに気分は盛り上がり一体感が高まってくる。
1月16日は1年かけた”作品”にいよいよ点火する日だ。重い”共同傑作”を担いで広場まで運び10m近いファルキアを人力で立てる。木をX字型にクロスさせたフィラニェという道具とハシゴで押し上げ、反対側からロープで引っ張る。長さと直径の比が綿密に計算されており、少しでも納得いかないと一度倒して立て直す。熟練した作り手達が準備して立てた松明は留め具もロープもないのに倒れることはない。そして15地区のファルキエが立てられ日が暮れると次々点火していく。この広場で目にする顔、顔、どれも感情が高ぶり笑いと涙と労いと、すべてが混ざり合った美しい顔。1年かけたつらい作業、重いファルキアを交代で担いで来た長い道のり、みんな真剣ゆえに時にはぶつかりながらも力を合わせて辿り着いた点火の瞬間。炎を上げる自分たちの作品の周りで音楽に合わせて歌い踊るだけで言葉など必要ないのだ。
2016年1月、昨年知り合った友人達のもてなしで私も1週間以上同じ屋根の下に寝泊まりし準備を体験する貴重な機会を得た。タンバリンを借りて一緒に演奏したり見物客に振る舞うお菓子を作ったり。よその地区を見に行くと、どこでもプラスチックカップに注がれた地元ワインが出てくるので30年に渡る天敵だったワインともすっかり打ち解けてしまった。子供時代に戻ったみたいにはしゃいで楽しみ、感極まって何度も泣いては抱きしめられ…あらゆる瞬間が宝物、どのシーンを思い出しても独特で何かを象徴しているような気持ちになる。代々伝わっているのであろう家庭料理をふるまってくれるマンマ達の得意さを隠しきれない笑顔や太い柳の枝を数人がかりで曲げては引き葦を束ねる力強い腕、「”私の”ファルキアを見せてあげよう」と誇らしげに胸を張る年配のリーダー達。大人達の作業を食い入るように見ている子供達の好奇心に満ちた目、さっきまで下らない冗談に笑い転げながら飛び回っていた少年は真剣そのものの顔つきをしてリーダーのそばで作業に加わっている。広場に出発する前、出来上がったファルキアには旗や色紙が飾られ、聖アントニオの肖像が掲げられる。正装したファルキアに花束を捧げたリーダーはいつになく神妙な顔をしている。「もう一度基本に戻ろう。ここの教会で一人ずつ感謝の祈りを捧げてから出発しないか?」
祭りが終わり出発の日が近づいてくる。大家族の一員となったような心地よさから抜け出すのが辛い。でも彼らだって同じ場所に留まりながらもあの一体感はそれぞれの心にしまって住み慣れた日常生活へと戻っていくのだ。ある日滞在先の友人に尋ねた。「15地区全部挨拶に回りたいんだけど連れて行ってくれる?」返ってきたのはポカンとした顔。「連絡取れる知り合いはいるのか?祭りは終わったんだ、誰も外にはいないよ。」
そう、皆それぞれの生活があって年に一度の大切な行事のためにのみ日頃の隔たりを超えて集うのだ。
『聖アントニオの奇跡』は1799年の話だけではない、だんだん分かり始めてくる。年に1度守護聖人への信仰と感謝の想いを表すために開催される火の儀式、その準備のために年代や性別、価値観や仕事といった現実を超えて力を合わせる人々の心に与えられる奇跡。
それはファルキアの準備中何度も目にした光景に重なっていく。硬くて太い柳の枝をバーナーで熱して柔らげ数人がかりで葦を束ねて結び目を作っていく。見ているだけで歯を食いしばるような重労働で「結び目ひとつにビール2本だよ」と笑いビールでお互い労いながら黙々と作業を続ける男たち。緩みが出ないように葦を足したり削ったりしながらきつく結ぶ。曲げる角度が合わず枝に裂け目ができたり緩みが出たりすると初めからやり直し。「この葦は我々と同じなんだ、がっちりまとまるためには妥協できない。」
この奇跡こそが長い年月を経て今なお伝統が受け継がれている理由のように感じられてならない。