Monthly Archive:: February 2016

海を越え心がひとつになる時 フェスタ・デッレ・ファルキエ(アブルッツォ州ファーラ・フィリオールム・ペトリ)と松明あかし(福島県須賀川市)

「嘘、これって松明あかしの写真じゃなかったの?」「こんな祭、世界中で須賀川だけだと思ってたのに…」「こんなに似てるなんて信じられない。イタリアの人たちが松明あかしを見つけてコンタクトしてきてくれたなんて嬉しい」「せっかくだから交流できる方法見つけたいね。」 ファーラ(ファーラ・フィリオールム・ペトリ)の祭の写真を見て須賀川の人たちが発した言葉だ。 そう、この二つの祭りは信じられないくらい似ているのだ。人口7万人程の福島県須賀川市が11月に開催する『松明あかし』と人口2千人弱のファーラのフェスタ・デッレ・ファルキエ(松明祭の意、聖アントニオ祭の名称もある)は立ち並んでそそり立つ巨大な松明が天に届かんばかりに豪快に燃え上がるという見た目のみならず、その由来にも通じるものがある。 松明あかしの由来は伊達政宗に攻撃を受けた1589年に遡る。伊達政宗の叔母にあたる大乗院が治めていた須賀川を守る為、10月10日の夜領民たちは手に手に小松明を持ち夜道を照らして十日山に集まり決死の覚悟で戦うことを決めたという。10月26日戦いの火蓋が切られ須賀川勢は善戦したが23000からなる大群に対し700人では勝ち目はなくほとんどの兵が討ち死にし町は炎に包まれた。松明あかしはこの戦いで討ち死にした人々の霊を弔うために行われるようになったというが、望みはなくとも城主と領土を守るために戦おうという英断を思い起こす縁でもあるとの推測もある。 一方ファーラのフェスタ・デッレ・ファルキエは1799年のフランス兵による侵略とつながっている。松明の伝統そのものは1860年町の守護聖人である聖アントニオの像を教会から移す時夜道を照らすために使った小松明が始まりだと言われるが、人々の守護聖人への信仰心は1799年聖アントニオが森に火を放ちフランス兵を退散させた”ミラクル”と呼ばれるエピソードと強く結びついている。1月17日はイタリア中どこでも『聖アントニオの日』。火の守護聖人、動物たちの守護聖人である聖アントニオ・アバテを守護聖人と定める地域では盛大に祝うわけだが、中でもファーラ・フィリオールム・ペトリは1799年のエピソードもあり毎年1月15日から17日までを祭の期間とし1年がかりで松明を準備して16日の夜に点火する。今年はたまたま週末に当たったが、曜日によって日付が変わることはない。 私が初めてファーラの祭りを見に行ったのは1年前、2015年1月のことだ。この時まで、この舌をかみそうな長い名前の町は言うまでもなく須賀川市の名前さえ知らなかった。ファーラ・フィリオールム・ペトリ、まるで早口言葉のような名前を言えるようになるまでどれだけかかったことか! 何はともあれ1月15日の夕方、友人に連れられてこの独特な祭りを見に行ったわけだ。 まるで小さな波がポツンポツンとやってくるように、すべては小さな偶然の積み重ねだったように感じる。今となってはどこがそもそもの始まりだったのかはっきりわからない。 アブルッツォの魅力を発信していきたいと言う私を連れて行く場所の一つとして友人クラウディオは偶然この独特な祭りを伝承しているファーラを選んだ。 私たちが町に着いた時道を聞いたのは偶然マドンナ地区のヴィヴィアーナで15地区の中でマドンナが一番見るべき場所だと言った。 マドンナ地区に行ってみると作業中のエンニョとジュゼッペは偶然Youtubeで松明あかしのビデオを見たばかり、私が日本人だと見てとり「この町の人たちと友達になりたい」と話しかけてきた。 帰国後、他につてもなく「普通に考えたら、こんないい加減な話を誰が真剣に受け取るものか」と諦め半分で須賀川市役所に電話してみると、偶然(?)良い方に当たり、松明あかし会場で写真展示する機会をもらえた。 初めての須賀川訪問で偶然知り合った女性が案内してくれた松明あかし会場で、興味を持って力を貸してくれる人たちと偶然出会い、人伝に話が広がり始め…。 2015年11月までの間にだんだん間隔を狭めながらかすかに水面を揺らす小さな波が12月になると次第に繋がって大きくなり、加速し始めた。 興味がある人同士の交流方法として間に合わせに開いたFacebookのグループページへの参加者も増えていく。 3度目の須賀川訪問では興味を持つ人達とファーラのこと、火祭のことを話し、松明あかしのことを教わり所縁の地を案内してもらったり地元新聞に特集してもらったり。地元放送局が収録してくれた番組では2つの祭が信じられないほど似ていること、ぜひ行き来してみたいという希望を語り合う。「海外旅行なんて興味なかったけどこの祭りは見に行きたい」「一緒に松明を作ってみたい」「祭りだけの弾丸ツアーでもいいから再来年は行きたい」口々に言う須賀川の人達。 年明け、3度目のファーラ訪問でもまた大きなサプライズが待っていた。 何というか、町全体が須賀川に興味深々であれこれ質問を浴びせてくる。私は東京在住だと言うとおもむろにがっかりされることも(笑) 歩いているとあちこちで声をかけられ須賀川について聞かれる、松明あかしの写真を見せると次々人が集まり、11月に須賀川で聞いたと全く同じ言葉がイタリア語で繰り返される。「嘘、これってファルキエの写真だろ?」「こんな祭、世界中でファーラけだと思ってたのに…」「こんなに似てるなんて信じられない。きっと日本の人達は真似したんだよ。」「いや、違うよ、彼らの方が歴史が長いって読んだよ。」「せっかくだから交流するべきだよ、何か始めよう。」 市長や市役所も温かくて歓迎ムード満載、松明あかしを紹介せよとコンヴェンションに呼ばれたり、パブリックビューイングを開催している須賀川の人達のために市が手配したストリーミング配信で日本語解説する機会をもらったり。道で出会う人たちは自分たちの祭の歴史や毎年の準備、しきたりについて語り、写真やビデオを見せてくれる。祭の当日設置した「松明あかし写真展」の実現にはイヴェント会社やカメラマン達が活躍してくれる。 去年初めて漂着したマドンナ地区は須賀川への友情の印として日本国旗を用意して松明に飾り、私を座らせ広場まで担いで歩く。 『ファルキア(松明)、結束と平和の証し』でも”聖アントニオの奇跡”について触れた。 1799年のフランス軍侵略時の奇跡は未だ聖アントニオへの信仰と結びつき伝承されている。 そして毎年この聖人に捧げるため行われる儀式の準備を通して与えられているように思われる奇跡は人々の心に生まれる連帯感、一体感とでも呼ぼうか。 さらに今、この1年の出来事を振り返ってみると、まるで新たな奇跡が生まれようとしているようでワクワクしてくる。 「葦は私たち一人一人の象徴」だと言う。葦を束ねる柳の枝は太くて丈夫なのだから、来年は遠い国から新種の葦を追加しても楽しいのではないだろうか。
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『ファルキア(松明)、結束と平和の証し』

                ファーラ・フィリオールム・ペトリは毎年1月17日聖アントニオの日を祝う火祭で有名な小さな町だ。1799年フランス軍の侵略に対し町の守護聖人・聖アントニオは森に火を放ち領土を守ったと言い伝えられている。それ以前に遡った祭りの記録もあるらしいが、この1799年の『聖アントニオの奇跡』が祭りの由来だと言われる。現在もここでは毎年伝統的な催しを実現するため町の人々は世代を超えて協力しハードワークに励んでいるのだ。 ”結束と平和の証し”とは言い得て妙、祭りの1週間後のコンヴェンションでスローガンのように繰り返し耳にした言葉だ。 準備は1年がかり。毎年1月16日の夜に点火する松明を作るために、祭りが終わるや否や翌年のために葦の刈り入れが始まる。 15地区がそれぞれスケジュールを決めて葦を刈りに行く日程は月を見て決めるらしい。この町のみでなくアブルッツォでは月の満ち欠けに従って作業をすることが多いという。半月から欠け始めて新月に至り次の半月になるまでが収穫の時期、作物や肉製品など保存するものはこの時期に作業する。その後半月が満ち始め満月を経て次の半月になるまでは種まきなど地の恵みを育てる時期だという。 ここでも月が欠け始めてからが葦を刈りに行く時期、少しずつ集めて翌年1月まで天日で乾燥させる。12月頃になると葦を束ねるための柳の枝も集め始める。     そしていよいよ1月、ファルキエを作るためのテントや小屋で作業が始まる。夕方仕事が終わる頃や仕事が休みの週末、各地区の作業場には住民達が三々五々集まってくる。周りでは子供達が興味深く作業を見たりはしゃいだり。女性達の作業場はキッチンだ。各家庭のキッチンで、作業小屋のそばの炊事場で、伝統的なパスタや豚を絞めて1年分蓄えたソーセージにサラミ、この時期独特のお菓子作りに余念がない。柔らかい生地を長く伸ばして落とし揚げるクレスペッレ、ブドウジャムにチョコレートやアーモンドなど混ぜて作った中身をラビオリみたいな生地で包んで揚げたカヴチュネット、同じ中身をヘビのように長くした生地で包み焼いたセルペントーネ(大きなヘビの意味)などはこの時期独特のお菓子。おばあちゃんが作るのを小学校に上がったばかりの女の子が真剣に見ながら手伝っている光景も見かける。そして音楽や踊りも準備期間の空気を伝えるには欠かせないアイテムだ。焚き火の周りで誰もが知っている民謡を奏で歌いながら手を取り合い踊って騒いでいると否応なしに気分は盛り上がり一体感が高まってくる。 1月16日は1年かけた”作品”にいよいよ点火する日だ。重い”共同傑作”を担いで広場まで運び10m近いファルキアを人力で立てる。木をX字型にクロスさせたフィラニェという道具とハシゴで押し上げ、反対側からロープで引っ張る。長さと直径の比が綿密に計算されており、少しでも納得いかないと一度倒して立て直す。熟練した作り手達が準備して立てた松明は留め具もロープもないのに倒れることはない。そして15地区のファルキエが立てられ日が暮れると次々点火していく。この広場で目にする顔、顔、どれも感情が高ぶり笑いと涙と労いと、すべてが混ざり合った美しい顔。1年かけたつらい作業、重いファルキアを交代で担いで来た長い道のり、みんな真剣ゆえに時にはぶつかりながらも力を合わせて辿り着いた点火の瞬間。炎を上げる自分たちの作品の周りで音楽に合わせて歌い踊るだけで言葉など必要ないのだ。 2016年1月、昨年知り合った友人達のもてなしで私も1週間以上同じ屋根の下に寝泊まりし準備を体験する貴重な機会を得た。タンバリンを借りて一緒に演奏したり見物客に振る舞うお菓子を作ったり。よその地区を見に行くと、どこでもプラスチックカップに注がれた地元ワインが出てくるので30年に渡る天敵だったワインともすっかり打ち解けてしまった。子供時代に戻ったみたいにはしゃいで楽しみ、感極まって何度も泣いては抱きしめられ…あらゆる瞬間が宝物、どのシーンを思い出しても独特で何かを象徴しているような気持ちになる。代々伝わっているのであろう家庭料理をふるまってくれるマンマ達の得意さを隠しきれない笑顔や太い柳の枝を数人がかりで曲げては引き葦を束ねる力強い腕、「”私の”ファルキアを見せてあげよう」と誇らしげに胸を張る年配のリーダー達。大人達の作業を食い入るように見ている子供達の好奇心に満ちた目、さっきまで下らない冗談に笑い転げながら飛び回っていた少年は真剣そのものの顔つきをしてリーダーのそばで作業に加わっている。広場に出発する前、出来上がったファルキアには旗や色紙が飾られ、聖アントニオの肖像が掲げられる。正装したファルキアに花束を捧げたリーダーはいつになく神妙な顔をしている。「もう一度基本に戻ろう。ここの教会で一人ずつ感謝の祈りを捧げてから出発しないか?」 祭りが終わり出発の日が近づいてくる。大家族の一員となったような心地よさから抜け出すのが辛い。でも彼らだって同じ場所に留まりながらもあの一体感はそれぞれの心にしまって住み慣れた日常生活へと戻っていくのだ。ある日滞在先の友人に尋ねた。「15地区全部挨拶に回りたいんだけど連れて行ってくれる?」返ってきたのはポカンとした顔。「連絡取れる知り合いはいるのか?祭りは終わったんだ、誰も外にはいないよ。」 そう、皆それぞれの生活があって年に一度の大切な行事のためにのみ日頃の隔たりを超えて集うのだ。 『聖アントニオの奇跡』は1799年の話だけではない、だんだん分かり始めてくる。年に1度守護聖人への信仰と感謝の想いを表すために開催される火の儀式、その準備のために年代や性別、価値観や仕事といった現実を超えて力を合わせる人々の心に与えられる奇跡。 それはファルキアの準備中何度も目にした光景に重なっていく。硬くて太い柳の枝をバーナーで熱して柔らげ数人がかりで葦を束ねて結び目を作っていく。見ているだけで歯を食いしばるような重労働で「結び目ひとつにビール2本だよ」と笑いビールでお互い労いながら黙々と作業を続ける男たち。緩みが出ないように葦を足したり削ったりしながらきつく結ぶ。曲げる角度が合わず枝に裂け目ができたり緩みが出たりすると初めからやり直し。「この葦は我々と同じなんだ、がっちりまとまるためには妥協できない。」 この奇跡こそが長い年月を経て今なお伝統が受け継がれている理由のように感じられてならない。  
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