アドリア海を見下ろし堂々とそびえ立つアラゴン城、そこから続くGiacomo Matteotti通りを進むと聖トマソ聖堂があります。町の守護聖人聖トマソ・アポストロはイエスの12人の使徒の一人でインドにキリスト教を広めた人物、1258年キオス島から移された遺骨や墓石が保存される聖堂には今でも世界中から多くの信者が訪れます。 この聖堂はもともと古代ローマ寺院の敷地内に建設された建物が1060年ノルマン人に破壊された後、1127年に再建されSanta Maria degli Angeliに捧げられました。1258年9月6日、オルトーナ生まれのガレー船船長レオーネ・アッチャイウオーリがギリシャのキオス島で発見した聖トマソ・アポストロの遺骨と墓石を持ち帰った際、このサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会(後に聖トマソ・アポストロと改名)に納骨されたのです。   ここで毎年5月第一土・日曜日オルトーナで行われるFesta di San Tommaso Apostolo (聖トマソ祭)は、守護聖人・聖トマソ・アポストロに捧げる祭りであると同時にFesta del Perdono (贖罪の儀式)です。 贖罪の儀式の始まりは、このサン・トマソの遺骨がオルトーナに届いた1258年に遡ります。この時教皇全免償が付与された後、1479年7月3日教皇シスト4世の大勅書により免償は5月第一日曜日に変更されました。”心から懺悔と告解をし今後毎年5月第一日曜日に聖トマソ教会を訪れ信仰を深めること”と定められ、この時期聖トマソの墓で祈るためにやってくる巡礼者たちは、免償が5月1日となった1479年から1949年までの間、教皇の文書の付与と免償の譲渡を続けて行えるようになったのです。第二バチカン公会議後、免償の付与は教皇によって任ぜられた司教に託されたため、ランチャーノ=オルトーナ大司教は使徒の墓で祈り神の恵みを受けた信者たちに対し5月第1日曜日の前日に免償を付与します。 土曜日の夕方、行列を従えた女官から聖トマソ聖遺物箱上部の銀の鍵を渡された宗教当局は箱を開け免償を宣言します。 日曜日は地元で収穫される海や陸の産物が聖トマソに捧げられ、海の幸を捧げるとともに遺骨の上陸を祝うためボートも並びます。土・日とも銀の鍵と銀の聖人胸像を携えた女官たちや楽隊、騎手団、騎士たちの華やかなパレード、花火を楽しむ人々で賑わいます。 (アブルッツォ通信・写真:Domenico Dragone)