海を越え心がひとつになる時 フェスタ・デッレ・ファルキエ(アブルッツォ州ファーラ・フィリオールム・ペトリ)と松明あかし(福島県須賀川市)

「嘘、これって松明あかしの写真じゃなかったの?」「こんな祭、世界中で須賀川だけだと思ってたのに…」「こんなに似てるなんて信じられない。イタリアの人たちが松明あかしを見つけてコンタクトしてきてくれたなんて嬉しい」「せっかくだから交流できる方法見つけたいね。」
ファーラ(ファーラ・フィリオールム・ペトリ)の祭の写真を見て須賀川の人たちが発した言葉だ。

そう、この二つの祭りは信じられないくらい似ているのだ。人口7万人程の福島県須賀川市が11月に開催する『松明あかし』と人口2千人弱のファーラのフェスタ・デッレ・ファルキエ(松明祭の意、聖アントニオ祭の名称もある)は立ち並んでそそり立つ巨大な松明が天に届かんばかりに豪快に燃え上がるという見た目のみならず、その由来にも通じるものがある。
松明あかしの由来は伊達政宗に攻撃を受けた1589年に遡る。伊達政宗の叔母にあたる大乗院が治めていた須賀川を守る為、10月10日の夜領民たちは手に手に小松明を持ち夜道を照らして十日山に集まり決死の覚悟で戦うことを決めたという。10月26日戦いの火蓋が切られ須賀川勢は善戦したが23000からなる大群に対し700人では勝ち目はなくほとんどの兵が討ち死にし町は炎に包まれた。松明あかしはこの戦いで討ち死にした人々の霊を弔うために行われるようになったというが、望みはなくとも城主と領土を守るために戦おうという英断を思い起こす縁でもあるとの推測もある。

一方ファーラのフェスタ・デッレ・ファルキエは1799年のフランス兵による侵略とつながっている。松明の伝統そのものは1860年町の守護聖人である聖アントニオの像を教会から移す時夜道を照らすために使った小松明が始まりだと言われるが、人々の守護聖人への信仰心は1799年聖アントニオが森に火を放ちフランス兵を退散させた”ミラクル”と呼ばれるエピソードと強く結びついている。1月17日はイタリア中どこでも『聖アントニオの日』。火の守護聖人、動物たちの守護聖人である聖アントニオ・アバテを守護聖人と定める地域では盛大に祝うわけだが、中でもファーラ・フィリオールム・ペトリは1799年のエピソードもあり毎年1月15日から17日までを祭の期間とし1年がかりで松明を準備して16日の夜に点火する。今年はたまたま週末に当たったが、曜日によって日付が変わることはない。

私が初めてファーラの祭りを見に行ったのは1年前、2015年1月のことだ。この時まで、この舌をかみそうな長い名前の町は言うまでもなく須賀川市の名前さえ知らなかった。ファーラ・フィリオールム・ペトリ、まるで早口言葉のような名前を言えるようになるまでどれだけかかったことか!
何はともあれ1月15日の夕方、友人に連れられてこの独特な祭りを見に行ったわけだ。

まるで小さな波がポツンポツンとやってくるように、すべては小さな偶然の積み重ねだったように感じる。今となってはどこがそもそもの始まりだったのかはっきりわからない。

アブルッツォの魅力を発信していきたいと言う私を連れて行く場所の一つとして友人クラウディオは偶然この独特な祭りを伝承しているファーラを選んだ。
私たちが町に着いた時道を聞いたのは偶然マドンナ地区のヴィヴィアーナで15地区の中でマドンナが一番見るべき場所だと言った。
マドンナ地区に行ってみると作業中のエンニョとジュゼッペは偶然Youtubeで松明あかしのビデオを見たばかり、私が日本人だと見てとり「この町の人たちと友達になりたい」と話しかけてきた。
帰国後、他につてもなく「普通に考えたら、こんないい加減な話を誰が真剣に受け取るものか」と諦め半分で須賀川市役所に電話してみると、偶然(?)良い方に当たり、松明あかし会場で写真展示する機会をもらえた。
初めての須賀川訪問で偶然知り合った女性が案内してくれた松明あかし会場で、興味を持って力を貸してくれる人たちと偶然出会い、人伝に話が広がり始め…。
2015年11月までの間にだんだん間隔を狭めながらかすかに水面を揺らす小さな波が12月になると次第に繋がって大きくなり、加速し始めた。
興味がある人同士の交流方法として間に合わせに開いたFacebookのグループページへの参加者も増えていく。
3度目の須賀川訪問では興味を持つ人達とファーラのこと、火祭のことを話し、松明あかしのことを教わり所縁の地を案内してもらったり地元新聞に特集してもらったり。地元放送局が収録してくれた番組では2つの祭が信じられないほど似ていること、ぜひ行き来してみたいという希望を語り合う。「海外旅行なんて興味なかったけどこの祭りは見に行きたい」「一緒に松明を作ってみたい」「祭りだけの弾丸ツアーでもいいから再来年は行きたい」口々に言う須賀川の人達。

年明け、3度目のファーラ訪問でもまた大きなサプライズが待っていた。
何というか、町全体が須賀川に興味深々であれこれ質問を浴びせてくる。私は東京在住だと言うとおもむろにがっかりされることも(笑)
歩いているとあちこちで声をかけられ須賀川について聞かれる、松明あかしの写真を見せると次々人が集まり、11月に須賀川で聞いたと全く同じ言葉がイタリア語で繰り返される。「嘘、これってファルキエの写真だろ?」「こんな祭、世界中でファーラけだと思ってたのに…」「こんなに似てるなんて信じられない。きっと日本の人達は真似したんだよ。」「いや、違うよ、彼らの方が歴史が長いって読んだよ。」「せっかくだから交流するべきだよ、何か始めよう。」

市長や市役所も温かくて歓迎ムード満載、松明あかしを紹介せよとコンヴェンションに呼ばれたり、パブリックビューイングを開催している須賀川の人達のために市が手配したストリーミング配信で日本語解説する機会をもらったり。道で出会う人たちは自分たちの祭の歴史や毎年の準備、しきたりについて語り、写真やビデオを見せてくれる。祭の当日設置した「松明あかし写真展」の実現にはイヴェント会社やカメラマン達が活躍してくれる。
去年初めて漂着したマドンナ地区は須賀川への友情の印として日本国旗を用意して松明に飾り、私を座らせ広場まで担いで歩く。

『ファルキア(松明)、結束と平和の証し』でも”聖アントニオの奇跡”について触れた。
1799年のフランス軍侵略時の奇跡は未だ聖アントニオへの信仰と結びつき伝承されている。
そして毎年この聖人に捧げるため行われる儀式の準備を通して与えられているように思われる奇跡は人々の心に生まれる連帯感、一体感とでも呼ぼうか。
さらに今、この1年の出来事を振り返ってみると、まるで新たな奇跡が生まれようとしているようでワクワクしてくる。
「葦は私たち一人一人の象徴」だと言う。葦を束ねる柳の枝は太くて丈夫なのだから、来年は遠い国から新種の葦を追加しても楽しいのではないだろうか。